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鄭(てい)は、漢姓のひとつ。 == 中国の姓 == 鄭(てい)は、中国の姓の一つ。春秋戦国時代の諸侯国のひとつ、鄭に起源を持つとする。 鄭は、周王室と同じ姫姓の国で、紀元前806年に周の厲王の末子である姫友(桓公)が鄭の地(現在の陝西省華県)に封じられたのが起こりである。桓公の跡を継いだ武公は、周の東遷後の平王の治世を支え、洛陽に近い新鄭(河南省新鄭市)に国を移した。紀元前375年、幽公のときに鄭は韓によって滅ぼされた。子孫は陳と宋の間(現在の河南省、安徽省、江蘇省にまたがる地域)に逃れ、国名の鄭をもって氏とした。 秦末から晋代にかけて、鄭氏は現在の浙江省、陝西省、山東省、湖南省、湖北省、四川省、安徽省、河北省、山西省などに広がった。滎陽(現在の河南省鄭州市)を本貫とするは北魏の時代に「四姓」と呼ばれる名門の一角をなすなど貴族として栄え、唐代にも多くの宰相を出した。 西晋以後の中原の動乱を避けて現在の福建省地域に移住した人々の中に多くの鄭氏がおり、鄭氏は福建で多い姓の一つとなっている()。唐代初期には河南の鄭氏の一部が現在の福建に移住をはじめ、唐代末期にはより多くの鄭氏が福建に進出した。明末、鄭成功は台湾に鄭氏政権を樹立し、これとともに台湾にも多くの鄭氏が移住した。 清代には海外へも移民した(華僑・華人参照)。タイの華人で潮州(現在の広東省潮州市)にルーツを持つタークシン(鄭信あるいは鄭昭)は18世紀後期にタイを平定した(トンブリー王朝)。トンブリー王朝に替わってチャクリー王朝を開いたラーマ1世も「鄭華」の漢名を称しており、当代(2013年現在)のラーマ9世も「鄭固」という漢名を持つ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鄭 (姓)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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